さて、今日とある勉強会に行って感じた事を少々書きたいと思います。
結論を先に書いちゃいますと、
「この分野については、勉強"しない"という決断をする」
って感じです。
なのでコレ、「この分野については」って書いている通り、
自分の専門分野は勿論、それ以外の分野もある程度以上勉強した人向けの話です。
そうでない方は、まず勉強しましょうで終わるというか、
色々勉強してみないと、勉強「しない」分野の判別がつかないんじゃないかと思うんですよね。
では本題ですが、勉強「しない」分野の判断基準は少なくとも以下の3つがあると思います。
1.感情的な動機が薄いか全くない
2.勉強しても中々理解出来ない
3.今、特に必要としていない
つまり、「理屈抜きで、あんまり勉強したいと思わないし、実際してみても飲み込みが悪いし、今必要としていない」分野です。
特に、1が大きいのではないかと。
で、1は「感情的な」って所がミソかと。
「なぜ、その分野を学びたいと思ったの?」という質問に対して、
「前向きな」回答が出来るかどうかじゃないかと思います。
「仕方なく」とか「他人に勉強しろって言われたから」とかは、
「後ろ向き」だと思います。
で、後ろ向きな状態で学んでも、正直あまり伸びないんじゃないかと。
だったら、前向きな状態になるまで「待ったり」、
その分野の勉強が必要になったと自分で思ってから、勉強し始めても良いのではないかと。
「選択と集中」っていう、まぁ有名な言葉だとは思いますけど、
勉強を「しない」分野を判断するっていうのも、それの実践だと思います。
あ、あと良く言われる?言葉で、
「無駄だと思われる分野でも実は無駄ではないから勉強する」
っていうのとは明確に違います。
上記の分野を勉強するのが無駄だとは思っていない(というか、無駄だと言い切れる分野ってあるの?)けど、
勉強する分野を選択して強みを伸ばす為に捨てるって感じですかねぇ。
あと、
この記事にある、
「スキルってのは「自分を知り自分を使いこなす」事なんだと思う」っていう辺りも関連がありそう。
色々な分野を勉強して、自分の得手不得手を知って、
特に興味のある分野が何なのかを知って、
そして、得意で興味のある分野に集中する。
勉強の効果には、単純にスキルを上げるっていう以外に、
上記の様な「自分を知る」というのもあると思いますね。
まぁ、色々な分野を勉強するのが当たり前になると、
勉強「しない」という決断は結構思い切りが必要だと思いますけど、
でも、人生の時間も限られてますし、これはこれで大切だと思います。
参考:
選択と集中
http://blog.vivaceconsulting.com/?eid=980324さて、本題はこれで終わりで、以下からはウチ自身の話です。
なので、ウチに興味ない方はここで終了です。
とりあえず、勉強する(出来る)分野と、しない(難しい)分野に分けてみました。
あと、順番は適当です。
<勉強する分野>
プログラミング、
開発手法(アジャイルとかTDDとか)、
データベース/SQL、
ネットワーク/サーバ、
セキュリティ、
コミュニケーション、
マネジメント、
簿記/会計、
心理/カウンセリング、
コーチング、
仏教/禅、
ホスピタリティ、
文章術、
マーケティング(意外と興味が強いかも)、
コンサルティング、
法律/契約、
営業、
交渉術、
速読、
経営、
経済学、
エロ系(当然ですw)、
デザイン(したことないから分からんけど)、
論理学
<勉強しない分野>
数学、
恋愛エロゲ以外のゲーム(TRPGなど)
で、勿論勉強する分野の中でも、更にランク付けがあるんですけど、まぁそれは省略。
勉強しない分野については、
少なくともこの二つに関しては、どうしてもビビッとこないですね。
少なくとも今の時点では。
数学は、商業科だったからというのもありそうです。
ついさっき調べたら、微分・積分以前に指数・対数すら学校では学んでいないっぽいですし。
まぁ、その分、簿記とかは学んではいるのですが。
ゲームについては、ドラクエやFF(いずれも特にⅡが好き。FFはⅥも好きだが)をやりまくっていたので、
何故だというのが正直な所です。
やり過ぎた反動でもあるんですかねぇ。
「完全に」フィクションだからというのが、あるかもしれません。
恋愛エロゲは、フィクションではあるんだけども、
現実の妄想の延長線上にあるものですしwww
まぁ、そんな所です。
テーマ:日記 - ジャンル:日記
- 2012/09/10(月) 00:25:19|
- ビジネス
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
※実話ベースの映画ですが、一応ネタバレ注意です
現在公開中の映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」を観て、「大局観」という言葉を連想しました。
また、山本五十六がどういう人なのかは、
コチラをご覧になっていただくとしまして。
作品(というか歴史)の中で五十六は。
太平洋戦争を行なっても日本は米国に勝てないと最初から思っていたのか、
日・独・伊の三国同盟にも最後まで反対したり、対米に対しても講和(戦争の中止)を望んでいた様です。
日本国内の殆どの人達が、上記とは逆の立場を取っていたにも関わらず。
私もそうですが、戦後に生まれて歴史として太平洋戦争を知った人々は。
米国との戦力の差ひとつを見ても、日本が劣勢だというのは、
比較的すんなりと理解出来るのではないかと思います。
しかし、当時生きていた五十六は、どうして日本が劣勢だと確信出来たのか。
軍人として、太平洋戦争前にも幾多の戦いを経験したからこそ、
米国に駐在して、自分の身体で米国の戦力を感じたからこそ。
つまり、「軍人としての経験からくる直感」により、大局観が備わった結果なのではないかと思いました。
当時の日本の状況からみて。
戦争と講和のどちらが、短期的にではなく長期的に見て良いのか。
また、映画の中で「九死に一生すら得れず、十死に零生になるのは絶対に認めない」とも言っています。
「負けていい所」も知っていたのかもしれません。
しかし、そんな五十六ですが。
結果として戦死してしまいます。
どのように死んだのかの詳細は省きますが、
私には「優しさが仇となった」様に感じました。
そして、五十六の死後も、結局講和をする事はなく、
ポツダム宣言により日本が降伏するまで、戦争は続きました。
また、五十六の死から戦争終結までの日本の死者数は、
戦争全体の死者数の「9割」にも及んだそうです。
で、これはあくまでも「たられば」論ですけど。
五十六が生きていたら、ここまでの被害者は出なかったかもしれない。
原爆も落とされなかったかもしれない。
同じ降伏でも、もう少し早く出来ていたかもしれない。
ここからは、不謹慎な話ですが。
私は、人間の命の重さを不平等に扱ってはいけないと思いますし、
五十六が死んだことで救われた命も、多分あったかと思います。
それでも私は、大局観を考えるなら。
まだ五十六は、死んではいけない人物だったのではないかと感じました。
当時の日本の状況を考えると、講和に持ち込めたのは五十六「だけ」なのではと、
素人ながらに思いましたので。
勿論、五十六が死ななかったことで、更に被害者が増加する可能性もあり。
そういった意味で、「こうしておけば良かったのでは」という答えを出すのは非常に難しいのですが、
でも、もう少しどうにかならなかったのかと感じました。
まあ、五十六本人の気持ちになって考えると、仕方無いって気もしましたけどね。
同郷の自分より若い人が、先に死んだとかもあったみたいですし。
ダラダラと話が長くなりましたが、「大局観」についてもう少し。
私自身が最近経験したことでも感じたのですが。
大局観がない人は、物事を人を「ある一つの視点からしか見なかった」り、
「他の視点からは違う様に見える事を知らなかった」りする気がします。
別に、その視点は視点で、「視点の中の一つ」なので、
間違っていないことも多いのが厄介なのですが。
それでも、今の自分には見えない視点がきっとあるはずと、まず意識すること。
また、五十六も言ってましたが、「世界をこの目で耳で心で感じる」事。
要するに、今の自分には分からないことを、積極的に分かろうとする事。
で、その為には、「自分は何が分かっていて、何が分かっていないのか」という、
自己分析が必要です。
というか「この知識は自分には必要ない」と断言する為には、自己分析は必須の作業だと思いますけどね。
あと、上記でも少し書きましたが。
五十六は、軍人として戦場という現場に立ったからこそ、米国の脅威を理解出来たのだと思います。
戦場に立っていない素人が、戦艦とか魚雷とかの戦争の武器を見ても、
危険な事ぐらいは分かっても、「どのくらいの強さを持っているのか」なんて分かりませんよね。
だから、全然関係ないようにも見えますが、
現場に入って実作業もしないと、大局観というのは備わらないのではと思います。
で、それらを踏まえると、
現場を知らない知ろうとしない経営者が言う、
「目先だけではなく長期的に見て」何ていう発言の中身など、
大局観が備わっていない「全く空っぽ」の内容だといえると思います。
実際そうですし(苦笑)
大局観、結構難しい概念だと思います。
まあ、大局観について色々書籍も出ている様なので、私ももっと詳しく学んでみたいと思います。
あと、今回の話とは全然関係ないですけど、映画の中で良かった話を一つ。
何の本なのかは伏せますが。
原典である洋書には書いてあるが、
翻訳された和書には書いて「いなかった」という内容があった時に五十六が、
「真実は原典を辿らないと分からない(実際のセリフとは違うけど)」
みたいな事を言いまして。
「名言」だと思いました。
関連:
大局観かぁ
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20111130/p1
テーマ:日記 - ジャンル:日記
- 2012/01/03(火) 05:51:56|
- ビジネス
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
先に注意点を。
まず、私は以下に書いているやり方は推奨「しません」。
他人を説得して改善すべき点を理解してもらって、
「お互い」が満足出来る落とし所を見つけるのがベストだと思います。
またその時に、相手との関係性によっては「教育」をする場合もあるので、
そんな場合には、
前回の記事も参考になるかもしれません。
あと、この記事を読む必要が「無い」人は。
「私は、現収入も周囲との人間関係も仕事内容も立場も"一切"不満はありません」
という感じの人です。
いわゆる「リア充」な人って言えば良いんですかね。
その様な方は、別に読む必要はないと思います。
では本題です。
他人(会社でも同じです)を自分の思うように振り回したいって気持ちって。
私自身は(多分)無いんですけど、どうも一定数以上はある人もいるみたいです。
なのでここでは、「どうすれば他人に好き勝手にされないのか」について、
持論を展開したいと思います。
まず、先に結論を書いちゃうと、「とにかく知識を増やす」なんですけど、
増やした上でどうすれば良いのかとかもあるので、その辺も詳しく。
他人に好き勝手に振り回されているって、言い方を変えると、
「相手に主導権を握られている状態」だと思うんですよね。
だから単純に、「自分が主導権を握ればよい」わけです。
ただし、しつこいですけど、推奨しませんよ。
まず、本文の最初に、他人を「説得する」と書きました。
でも、説得しようにも「話を聞かない相手」ならどうにもなりませんし、
聞いても「(相手のスキル不足で)自分が言っている内容の意味が伝わらない」事もありますし、
聞いて相手は意味は分かったけれども「(自分が改善したくないから)結局何も変えない」という事が、
数多くないでしょうか。
で、そうなってしまいますと。
自分の伝え方に問題がある(コミュニケーション"能力"が低い)可能性はあるにしても、
相手が、自分の話を聞いて何とかしようという気持ち(
コミュニケーション"マインド"が高い)が無ければ、
どうにかするのは、かなり難しいと言わざるを得ないと思います。
では、どうやったら主導権を握れるのか。
相手が主導権を握っているよくある話としては、ぶっちゃけ「お金」だと思います。
具体的に書くと。
1.「ウチの会社を辞めても、他の会社はもっと給料が低いから転職出来ないだろう」
2.「ウチの会社を辞めても、他の会社が貴方を採用するとは思えない」
3.「ウチの仕事を断ったら、他の仕事が無くてお金に困るだろう」
4.「別に貴方がいなくても、他の人に仕事を頼めば良いしウチは困らない」
などなど
ちなみに、こういう事を言う人は、大抵「視野が狭い」と思います。
「自分が見えていない世界があることに気付いていない」とでもいうか。
で、解決策は上記の想定を覆せば良いのです。
つまり、相手から見て想定「外」にすれば。
以下の様な感じです。
1.「今の会社より、待遇の良い会社一杯知ってるし全然転職出来ますよ」
2.「他社から引き抜きの誘いなんて沢山来てるし、転職しようと思えば幾らでも出来ますよ」
3.「お宅の仕事を断っても、自分は一切収入に困りませんよ」
4.「自分が辞めたら、自分の今のタスクを誰か引き継げるんですか?」
ぶっちゃけ言いますと、このやり方はやはり「下品」であり、やっぱり推奨は「できません」。
相手を「上品に変える」のが、ベストだと思います。
しかしですね、「目には目を」ではないですけど、
「下品には下品を」な手法をとるしかない時だってあると思います。
あと、上記4について一言。
「タスクを引き継げるか」なんですが。
「技術力が"異常に"高い」とか、
「教育力が"異常に"高い」とか分野は何でも良いんですけど、
他人(別の会社でも同じ)に代替不可能なタスクというのが、必ずあります。
だから、その強みを持つ為に「勉強して」、
他人に好き勝手させられそうになったら、その強みを「表に出す」。
まあ、表に出さなくても理解しようとしてくれる相手が一番良いんですけどね。
最後に、「それでも勉強なんてしたくない」という方に。
上記の通り、勉強をしなくて困るのは「貴方だけ」です。
周りの他人は、誰も困りません。
「勉強」って言い方が嫌ですか?
では、「知識を増やす」ではどうでしょうか?
知識を増やすのは、自分の人生をより良くする為に取る手段です。
お金をもっと稼げる様になる為の手段です。
他人に騙されない様にする為の手段です。
異性にモテる人間になる為の手段です(笑)
そして、私的に一番大きいと思うのは、
自分の精神を安定させる薬です。
つまり、不安が減るということ。
どうでしょうか、これでもやっぱり勉強なんてしたくないでしょうか。
それなら、私から申し上げることは何もありませんねぇ。
関連:
下手すると「学生を奴隷として使いつぶす方法」になるなぁ、と思ったので
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20111216/p1
テーマ:日記 - ジャンル:日記
- 2011/12/28(水) 22:17:21|
- ビジネス
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
どっかのタイミングで詳しく考察したいんですけど。
「チームワーク」って、
「今自分が果たすべき役割を、出来る限り自分の力だけで果たすこと」
じゃないかと思うのですよ。
まあ、こういう見方は、一般的ではない気もするんですけど。
人生において、各個人が果たすべき役割は「みんな違う」し、
各個人においても、時の経過と共に「どんどん変わっていく」と思います。
例えば、仕事において新人はまず「上司を真似ながら、自分のタスクを消化する」が役割だと思ってますが、
上司になると「自分のタスクを消化しつつ、部下のタスク消化をサポートする」という風に変わっていきます。
母親は、子供を産めば、自分の事をやるのと同時に、子供の面倒も見る必要が出てくるなんかもそうですね。
ところが最近よく目にするのは。
自分の役割を勘違いしていたり、果たしていないケースだったりします(苦笑)
「上司なのに、部下の面倒を一切見ない」とか(苦笑)
また、上記で「出来る限り」と書いてあるのもポイントで。
周囲の援助を求めるのが、必ずしも悪いとは思わないのですけど。
でも、援助を求めることは、援助を求めた相手の役割を果たすのに妨害になる事もあると思ってまして。
「自分の役割を果たす為に、質問される相手が忙しいのに長時間拘束する」とか(苦笑)
もう少し、相手の事を思いやれないものかと感じてしまいます(苦笑)
プロの、野球とかサッカーとかスポーツをイメージするとピンと来やすいのではと思うんですけど。
一人一人、みんな役割が違うし、
一人一人、周囲に頼らずに、自分の役割を果たそうとしてません?
もちろん、「連携」はあると思うんですよ。
サッカーだと「パス」とか、
野球だと、フライを「レフトとセンターのどっちが取るか」とか。
で、多分この「連携」というのがポイントだと思ってまして。
例えば、明らかにレフトが取るべきフライなのに、
レフトが「センターお願い取って」ってやったりとか。
まあ正直、どこまでが誰がやって、どこからが誰がやるかみたいな「線引き」も結構曖昧になる気もしますし、
そもそもとして、「自分が今果たすべき役割って何だろう?」って感じだとも思うんですよね。
筆者も、自分自身で何が今の役割なのか、よく分かってませんし(苦笑)
ただ、少なくても、チームワークっていうのは。
「チームワークを大切に」と言いながら、
単に相手に寄っかかる為の便利な言葉として使うのは、
「違う」と言えるのではないかって思うんですけどね。
とりあえずは、「今自分は何をすれば最善なのか」を、少しでも考えてみれば良いのではないかと。
テーマ:日記 - ジャンル:日記
- 2011/12/11(日) 23:06:14|
- ビジネス
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
自作でWebアプリなどを作り始める時。
「こんな機能を実装したい」とか、
「画面遷移はこんな感じにしたい」とか、
「収益を上げるにはどういう方法を取れば良いか」とか、
「クラス切りはどうするか」とか、
作り始める「前に」、色々な計画を考えると思います。
そして、それは別に間違ってはいないと思います。
何も考えずに、モノが作れるわけが無いですから。
でも、「ただ、考えているだけでは、モノは出来ません」。
一方で、ある程度作りが出来た時点や、
リリース前後のタイミングで、
「ああ、この機能は必要無かった」とか、
「ああ、テーブル設計を失敗した」とか、
「ああ、セキュリティホールを作ってしまったけど、
修正の為のコードをあちこちに書かなければいけない」とか、
ある程度、作り終えた「後に」、色々気付く所も出てくると思います。
そして、それは別に間違ってはいないと思います。
作ってみてから、始めて気付く事もあると思いますから。
でも、「何も考えずに作ると、技術的負債を増やします」。
じゃあ、どうすれば良いの?って話になると思うんですが。
タイトルの言葉が、筆者は一番しっくりくると思います。
技術書以外の書籍を読んで、どんなアプリにするかのヒントを得たり。
そして、得たヒントを基にして、要件に反映させたり。
技術書を読んで、機能を実装する為や、セキュリティホールを作らない方法などを、
どんな風にやれば良いかを調べたり。
そして、調べた結果を、コードに落し込んだり。
計画を立てる事は大切ですが、一方で計画倒れに終わっては意味がありません。
人生なんかもそうだと思うんですよね。
自分が子供の頃に描いた人生プラン通りに今生きている人って、
果たして何人居るんですかね?
いやまあ、0人って事はないと思いますけど。
一方で、自分はこんな仕事をして生きていきたいとかを、
何も考えないで生きていても、やっぱり幸せにはなれないと思います。
考えながら行動するという、少々器用なマネではなく、
時には行動し、時には考えるぐらいでも、最初は良いかもしれません。
でも、「動く」事と「考える」事は、どちらも大切だと思います。
参考:
スタートアップを殺す18の誤り隙間があって 隙のない設計
テーマ:日記 - ジャンル:日記
- 2011/08/17(水) 00:20:36|
- ビジネス
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
前のページ 次のページ