タイトルに関しては、「当たり前だろ」と突っ込まれそうですが、
でも、意外と自分の事って、なかなか分からないと思うんですよね。
「仮説」というのがあります。
「AはきっとBなのではないか」とか、
対象物(人間含む)に対して予測をする、無意識の内に我々が使っている考え。
会話なんかでよくあると思われるのが、
「Aさんって、もしかしてBだったりしない?ほら、以前にCだって言ってたじゃない?」
みたいな感じ。
で、自分が好みの相手(仕事のパートナーでも、転職したい会社でも、恋人でも)を探している時に。
相手が自分の好みかどうかを知る為に、会話したりしますよね。
まあ、会話する以外にも、相手の事をネットで調べたりもするでしょうけど。
で、その時に「自分の好みかどうかを知る為に、"どんな質問"をすれば良いのか」って話になると思うんです。
そして、その質問に対して、「何と返答したのか」で、好みかどうかを判断する材料にすると思うんです。
じゃあ、自分の好み、言い方を変えれば自分が大切にしたり重視している事。
まずは、それが何なのかを考えて。
そして、どんな質問をすれば、相手もそれを大切にしているかどうかが分かるのか。
「自分はAを大切にしている。そして、Aを大切にしているかどうか判断するには、
Bに対してどう考えているかや、Cに対してのスタンスなどを聞いてみるのが良いかもしれない」
といった仮説を立てる必要があると思います。
なので、まずは「自分を知ること」。
自分はどんな人間なのか?を、かなり深く掘り下げる必要があるのではと思います。
まあ、実践するのは、かなり難しいんじゃないかとは思いますけどね(苦笑)
参考:
コンサルタントの質問力
http://www.amazon.co.jp/dp/4569696902
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- 2011/09/30(金) 00:08:26|
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正論って、反論が極めて難しいもので、
言われた相手にとっては、非常に傷付いたり、どうして良いか困ってしまう時もあると思います。
そして、そういった特性があるが故に、
「正しい」けれども、中々受け入れ難いものだと思います。
まあ、無理もないと思うんですよね。
「正しいけど、今の私の状況でそれを言われても、そんなこと出来ない」って感じが多いのではないかと。
筆者もそういう部分有りますし。
だからこそ、「相手にとって馴染みやすい」内容である必要があるのではないかと。
正論を言うだけなら、それほど難しくないわけですから。
社会経験が皆無の新人に、
「仕事では報連相が大切なので、ちゃんとやる様に」
と「やり方を教えずに」言われても、
どうやってやれば良いのか、困るのではないでしょうか。
報連相なんて、学校では教えてくれないと思いますし、多分。
デザイナー上がりで、プログラムのプの字も知らない人に、
「ちゃんと、脆弱性の無いプログラムを書いて下さい」といきなり言っても、
どうすれば良いのか困るのではないでしょうか。
勿論、言われた側にも、独学などの自助努力は必要だと思うのです。
でも、正論を言う側も。
今、相手が立たされている状況を考慮して、
「これなら相手にとって馴染みやすいのではないだろうか」という視点を持って、
「厳しい」正論を、相手が受け入れやすい形にして、伝える必要があるのではないでしょうか。
正論を言う目的って、相手に伝えて納得してもらって、
相手に変わってもらう事ではないでしょうか。
正論を言った所で、相手が変わらなければ、意味がないと思います。だからこそ。
まあぶっちゃけ、実践するのは結構難しいとは思いますが、
そんな視点が大切ではないかなと。
以上、筆者自身の反省会でした(苦笑)
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- 2011/09/20(火) 23:16:35|
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本文の内容ではなくて恐縮なのですが、
以下の記事のコメント欄の内容に違和感を感じたので、書きたいとおもいます。
mixi足あと廃止に寄せて
http://d.hatena.ne.jp/mala/20110817/1313579812#c1313792170端的に書きますと。
「人と人のつながりは、"挨拶"によって生まれるのであって、足あとを踏む"だけ"で生まれるものなのか」
というのが筆者の印象です。
というより、ご自身で答えを書かれていると思うのですが。
> 互いに相手を認識した上で(互いじゃないケースもあるけど)「はじめまして」という挨拶から知り合いになるのです
とか、
> 実際にコメントした時点から「お知り合い」という位置づけ
とか。
まあ、後者は挨拶をしていないという可能性もありますけど。
「足あとを踏んでからコメントに行き着く」のは確かですが、
「足あとを踏んだからといって、必ずコメントをするわけではない」ですよね。
で、そう考えると、「足あとってSNS的に何なの?」という疑問が出てきます。
ちょっとここは現時点では何とも言えないのですが、
「単なるログ?」な気もしています。
まあ、「踏み返せる」特徴があるので、さすがにログではないですけど。
とはいえ、上記ではセキュリティの問題から足あと機能を批判されていますが、
別にセキュリティの問題が無くても、
SNS的に筆者は「不要」ではないかという気がしています。
要りますかねこの機能。
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- 2011/08/23(火) 22:24:06|
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コミュニケーション。
話したり聞いたりして、他人と意思疎通を図る事だと思います。
でも、それを行う前には、まず「相手に関心を持つ」必要があると思います。
「無関心」な状態で話をしても、親好も深まらないでしょうし、
何よりも「楽しくない」と思うのです。
で、今回は、どうやって関心がある事を伝えるのかや、「無関心だとどうなるのか」について、
具体的に書いてみたいと思います。
先に最も重要な点だけ書くと、「無関心は、自分も相手も不幸にする」と思います。
1.挨拶はきちんとする
相手との親密度によって、「こんにちは」だったり「ども~」だったりと色々ありますが、当然の様にやるべき話です。
で、具体的な手法ですが、
声の大きさよりも、「相手の目をちゃんと見る事」の方が、より重要だと思います。
空挨拶とでも言えばよいのでしょうか。
声「だけ」大きいけど、心がこもっていない挨拶というのが、どうもあるのではないかと。
挨拶というのは、「私は貴方に興味があります」というのを示す一つのファクターだと思うので、
それなら、相手の目をちゃんと見る方が、有効だろうと思います。
2.相手に関心を持って、色々質問して聞いてみる
筆者の経験上ではあるんですが、話をする時って、自分の事ばかり話をする人が多い印象があります。
でも、その話に相手が興味を示すとは限りません。
下手すれば、相槌を打ってるだけで、何も話を聞いていない可能性もあります。
なので、まだ交流し始めなんかは特にだと思いますが、
自分「が」、インタビュ「アー」になった方が、会話はスムーズに行くと思います。
まさか、初対面で「質問のネタが無い」なんて事はないでしょうからって、
まあ、最近そう思う時はありましたけどね(苦笑)
あと、筆者がリアルで、インタビュアーになる事が多くて疲れるって、まあどうでも良い話ですが(苦笑)
話を戻して、質問をして相手が答えないというケースは、
仲が悪くなければそんなに無いと思います。
また、筆者も含め、人間って、本質的には自分の事を話すのが好きな動物だと思います(笑)
ですんで、自分の事が話せない状態が「延々と続く」のは、結構疲弊するのですが、
相手の話を聞いて、自分の知らない事を知ったり、場合によってはアドバイスしたりと、
そんな事から始めていけば良いのではないでしょうか。
3.聞いた事を実践してみる
まあ、実践してみるといっても色々あると思いますが。
例えば、「この本面白かったよ~」なら、立ち読み(本屋さんに迷惑にならん程度に)してみたり、
で、理想をいえば、本を読んだ場合には感想を相手に伝えたり。
また、「この技術は難しかったけど、非常に為になった」ということであれば、
その技術を学んでみたりとか。
「守破離」の「守」じゃないですけど、「何はともあれ実践してみる」と。
そして、内容によってはすぐに出来ない事もあるかもしれませんが、
すぐに出来ない原因を分析して、早く解決していって、
実践できるようにすれば良いのではないでしょうか。
4.周囲で話している会話の内容を聞き耳を立てて聞く。もしくは、側に近づいていく
これは、現場で最近見た現象ですが。
周囲で、技術的に困った相談でコミュニケーションが行われている時に、
「え、何か有ったんですか?」って感じで、周囲で行われているやり取りに「興味を示す」のは、
技術者「としては」、必要なスキルだと思います。
これは筆者の経験で且つ、相当昔の話(といっても3年前ぐらい)なんですが。
PMと、いわゆるITアーキテクト的な人と、PLが3人で打ち合わせをする時に、
「筆者は参加しなくて良い」とPLに言われたのですが、参加しました。
まあ、PL的には「参加しても、話の内容(WEBセキュリティの話)が全く分からないはず」と思ったのでしょう。
で、実際「さっぱり」分かりませんでしたし。
確か、
セキュリティ実装 チェックリストの内容を個別に精査したと記憶しています。
「分からなかったのなら意味が無いのでは?」と思われるかもしれませんが、
筆者はむしろ、分かろう知ろうとしなければ、絶対に分からないと思います。
で、相手でも技術でも何でもそうだと思いますが、
そんなに簡単に「分かる」ものではないと筆者は思います。
仮に、相手の事をネットで調べようとした時に。
「本名で検索」、「ハンドルネームなどで検索」、
「自分と同じWebサービスを利用している場合、そのサービス内で検索」、
「ブログなどを書いている場合、記事を全て読む」、
ぐらいの事は最低でもする必要があると思います。
それぐらいしなければ。
例えばですが、ツイッターの呟き「だけ」で相手を判断しようとしても、
かなりの確率で相手の人間性を誤解すると思います。
貴方に「人を見る目が"平均以上に"」無ければ。
筆者は無いので、色々調べているんですがね。
ですのでまあ、「色々な事(自分が好きじゃないモノも含む)に対して関心を持ってみましょう」って辺りが、
スタートラインではないかと思います。
5.人前で、携帯(スマートフォン含む)を見ていて、相手の方を見ていない
その、携帯を閲覧するのは、相手の前に居なければ出来ない事ですか?
もしくは、「今そのタイミングじゃなければ」、本当にダメなのですか?
これは、どうこう書く様な話じゃないと思うので、これで終了にします。
6.自分と似ている部分が少ない相手は大きな成長のチャンス
これは筆者の経験則ですが、似たもの同士で交流しても、視野も広がらないし、成長速度もゆっくりになる様に思います。
ただ、この「似ている部分」というのが、多分ポイントで。
例えば、「自分"だけ"良くなれば良い」って人と、「自分も他人も良くなれば良い」って人が交流しても、
それは「言動ではなく考え方自体が異なる」ので、多分上手くいかないと思います。
他だと、「平和」主義者と、「戦争」主義者も、同じ理由で合わないと思います。
だから、「言動は似ていないが、考え方は同じ」な相手が、ベストだと思います。
まあ、オススメはしませんが、考え方「も」異なる相手と交流するのも、
あるいは良い勉強にはなると思いますけどね、オススメはしませんけど。
で、上でも書いたように、相手を知るというのは、結構難しいと思います。
なので、ネットで色々調べてみるなり、色々な角度から相手に話を振ってみるのが良いと思います。
結論.無関心で困るのは「誰」なのか?
筆者は、自分自身であり、仕事であればお客様「も」だと思います。
というか、今回は論証しませんが、自分とつながりのある人「全員」かもしれませんね。
で、本題ですが、今回はターゲットを「IT技術者」にしたとして。
まあ、他の職種でも同じだと思うのですが。
ITの技術者が、技術の話(自分の専門分野)に対して「無関心」っていうのは、どんなもんなんでしょうか?
お金を支払っているお客様は、それを知ったら果たしてどう思うのでしょうか?
で、技術といっても、
「簡単で便利だけど応用利かないのであまり重要ではない」Tips的なモノもあれば、
「難しいけど応用利いて重要」な基礎的なモノもあります。
で、どっちかが重要ではなくて、どっち「も」重要だと思います。どっちかって言ったら後者ですけど。
この辺は、技術力とコミュニケーション能力のどちらが重要かって話も同じで、
どっち「も」重要だと筆者は思います。
で、難しいから興味無いって、そもそも「プロ」の仕事で難しい要素が無い仕事なんてあるとは思えません。
だったら、みんなプロになれるし、そもそもお客様だって自分達でやるんじゃないですかね?
で、ビジネスにおけるお金の使い方を知らない(質の上下に応じて支払額を変える意識がないとか)経営者やお客様だけが、
そんなプロ「もどき」にお金を払うと。
つまりは、自分が上司やらお客様との関係や待遇面で苦しんでいるとしたら、
それは、「まだまだ半人前」だと筆者は思います。
まあ、筆者自身も半人前ですが、だから成長しようとしているだけです。
で、そこから成長しなければ、永遠にその状態が続くだけだと思います。
「どうしても関心が持てない」なら、他の業界に転職した方が良いと筆者は思いますけどねぇ。
多分、その方が「自分が幸せになれる」と思いますので。
さて、じゃあ「上記を行えばコミュニケーションはバッチリ」かというと、
全然そんな事はないと思うんですが。
今回は、「初歩中の初歩」を取り上げてみました。
他にも色々な角度から書こうかと思っていたんですが、話がまとまらなくなってきまして(苦笑)
参考書籍:
特別講義 コミュニケーション学↓
(オススメです)
あなたの話はなぜ「通じない」のか↓
(オススメでは無いのですが、現実のコミュニケーションの"実態を知る"目的では役立つと思います)
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- 2011/08/13(土) 01:37:24|
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最近なのかどうかは知りませんが、
人付き合い(人間関係)において、「白」か「黒」で付き合うケースがちょくちょく見受けられます。
具体的には、「私はAさんとは仲良くするけど、Bさんとは目も合わさない」と、
「好き嫌いをはっきりさせて付き合う」ケースです。
筆者の考えだと、
人付き合いって「白黒ではっきり分けるものではなくて"グレー"もある」と思っています。
具体的には、
1.最高に好き
2.結構好き
3.まあまあ好き
4.少し好き
5.好きでも嫌いでもない
6.少し嫌い
7.まあまあ嫌い
8.結構嫌い
9.最高に嫌い
みたく、グラデーションが付くものではないかと。
とはいえ、実は「白黒」が悪いかというと、そうも思っていなかったりもしています。
ただ、白黒にしてしまうと「敵」も増えるので、
「助けは期待しづらい」と思う覚悟が必要だと思います。
ちなみに、白黒に分けて付き合っているにも関わらず、
「黒は確かに敵だが、貴方がどうなろうが知ったこっちゃないので、
何も言わずに、俺の為だけに尽くせ」みたいな、
「アンフェア」な考えの人もいらっしゃるので、要注意でございます。
映画の「アンフェア」は好きなんですがねっていうのは余談w
まあ、どうなのでしょう。
個人的には、最初はとりあえず「浅く」付き合ってみて、
「おお!これは!」と思う度に、「少しずつ」付き合いを深めていく。
逆に、「う~ん、何か違う」と思う度に、「少しずつ」付き合いを浅めていくか、
「違う」のが自分にとって気にならないモノであれば、別に気にしない。
で、そんな事をやっていくと、
「基本は浅く広く付き合うが、時々深い人がいる」
みたいな付き合いになるのではないかと思います。
健全で敵も少なくなりそうだし、良いと思うんですけどねぇ、この付き合い方。
どんなもんでしょうかね?
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- 2011/07/23(土) 00:06:33|
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