最近、色々な記事を読んだりしていると、ちょくちょく目にする(以前よりも目にする機会が多い気も)「嫉妬」とか「妬み」って言葉。
まぁ、自分も無意識の内に、結構使っていたみたいですけどねw
で、以前にもこういう記事
http://kitoku1.blog129.fc2.com/blog-entry-2.html を書いてはいるんですけど、
改めて読み返すと内容がイマイチなので、またちょっと書いてみたいと思います。
まず、幾つか質問を、僕自身にしてみます。
Q1.「貴方は嫉妬しますか?」
Q2.「人間は、誰しも嫉妬すると思いますか?」
Q1は、はい、します。
メチャクチャしているかどうかまでは分からないですけど、
時々していると感じる事はありますので。
Q2は、分からん。
稀に、嫉妬するという感情を持っていない様に見える人も、見たりするので。
で、まぁ、聞いてみたいとは、やっぱり思いますね。「嫉妬しない方法」というのを。
さて、Q2については、イマイチ分からないので、
Q1について、「じゃあ、自分はどんな時に嫉妬しているのか?」を分析すれば、
解決の糸口も見えてくるかもしれませんので、その辺を詳しく。
あと、「後半になるに連れて、段々克服方法が難しくなっていく」ので、ご注意を。
まず、恋愛方面だと「見た目が美人もしくは可愛い女性(美女とします)が、見た目がダサい男と街中で手を繋いで歩いているのを見た時」に嫉妬する。今は、もうしないと思うけど。
で、コレ、なんだかなぁとも思うんですけど、
でも、恋人いない人が美女と付き合いたいと思うのは、別に変な話じゃないわけで。
で、なんでこういうのに嫉妬するのかというと、
「類は友を呼ぶから、美女が美男を求めるのなら、諦めも付く。でも、あんな見た目の男がモテているのに、なんでそう悪くない見た目のお前がモテないんだろうな」と、
自分の友達に言われたら、そりゃあ嫉妬もする。
しかも、これは経験無いけど、その女性が元恋人で、「もっと素敵な人と付き合いたい」とか言われて別れたなら、尚更。
「素敵なヤツが、あんなダサい男かよ!」となるでしょうから。
で、コレ、どうやったら嫉妬しなくなったのかというと、
「見た目がダサいその男が、実はその女性が求めていた"素敵さ"を持っていた」のを、自分が認識出来た時。
色々な方がいらっしゃるわけで、「素敵」といっても、素敵の基準がどこにあるのかというのはあるわけで。
で、その女性にとっては、見た目は全く重要ではなく、内面を重視していて、
ダサい男の内面に惹かれていたとしたら、何ら不思議ではないわけで。
次に、これは自分自身ではあまりなく、他人が他人に対して言っているのを見た時の話。
ネット上で多いんですけど、「とても評価されている人がいた時」に、
「そんなのは、大したことないよ」とか、
「そんなの、俺でも出来る」とか言って、評価しない人々。
分野は正直色々(パチスロの目押しでも、最近見たし)で、分野に限らない話かもしれません。
で、コレ、個人的にもゼロではない(あまり無いけどね)んですけど、
殆どの場合において、「自分も評価されている事と同じ事を実践してみる」事で、
「とても評価されているのは、出来る人が殆どいないからだ」というのを、
自分が認識出来た時に、大抵はおさまります。
分野に限らず、とても評価されている人は、「凡人とは比べものにならない程の努力」をしています。
本を数百冊(数千冊)読んでじっくり考えたり、縛りゲーで凡人なら詰む様な状況になっても、
あらゆる手段を考えて駆使してクリアしたりと。
あと、宣伝(リアル・ネット問わず)を惜しまないし、工夫もしている。
結局ですよ、いくら実力や才能があった所で、
それを「他人が認識出来なければ」、やっぱり評価はされないわけでして。
でも、上記のとても評価されている人は、その辺を認識しているが故に、色々と努力をしていて、
それが、実を結んでいるんだと思いますね。
で、僕はどうかというと、「上記、全部やってみたが出来ない」んですよ。
だから、「まぁ、凄いねぇ」と思ってしまい、最初は嫉妬はしても、自然にしなくなりましたね。
まぁ、出来なくて個人的に困る部分については、改善していくしかないわけですけど。
で、さっき「大抵は」と書きました。
なので、「大抵じゃないケース」について。
つまり、「上記の点は踏まえていて、色々努力をしているが、それでも中々評価されない」場合。
先程も書きましたけど、評価されるには「他人が認識出来るか否か」がキーポイントになると思います。
ですから、「難しくて多くの人が認識出来ない内容を、認識しやすい様に簡単にする工夫」というのは必要かと。
ところが、それをやった上でも、
他人があまりにも無能(というより、理解する気がないのが大半かと)過ぎて、
認識出来ないとした場合、もうどうにもならないんですね。
で、この場合、一つあると思うのが、
「その環境では、評価されないだけ」という視点。
個人的にもよくあるんですけど、例えば「その町」「その会社」「その職場」「そのコミュニティ」などでは評価されないけど、
「環境を変えれば」評価されるというもの。
個人的には、「職場」で多いんですけどね。
よく変わるからだと思うけど(苦笑)
なので、その環境にとっては、大変に残念な結果になるんじゃないかと思うんですけど、
でも、「自業自得」だとも思いますね。
あまり気にしても仕方ないと思いますよ。
まぁ、個人的には性格的に結構気にしちゃうんですけど、どうにかなったケースは無いですね(苦笑)
さて、ここでまた話を変えて、
今度は兄弟とか部下同士という「ライバル」的なケースについて。
ありがちだと思うのが、「あっちは愛しているのに、どうして自分は愛してくれないの?」というもの。
これ、幾つかあると思ってまして、
まず、自分は本当に愛されていないのか?という視点。
「あっちは評価されているけど、でも自分も評価されていない」ですか?
「相談したりした時に、ちゃんと相談に乗ってもらえていない」ですか?
という部分を、自分が認識出来た時に、嫉妬も自然におさまっていくと思いますね。
あとは、さっきも似た様な事を書いたけど、
「あっちが愛されているのは、努力量が半端無いから」というのも。
あと、もう一つあって、
愛の定義にもよりますけど、「愛されていないのは、信用されている事の証」というもの。
親にしろ上司にしろ上に立ってる人の視点として、
「脱落者を出さない」という全体最適(全体主義とは違うと思われ)的な視点というものがあると思いますし、
「出来ない子や部下の方を面倒見る」というのは、別に変な話でもなく。
あと、「放置されている」というのも考えようで、
逆に「信頼されているから、放置していても問題ない」と判断されているとも。
それは、「守破離」の「離」かもしれませんよと。
というのを、自分が認識出来た時に、嫉妬も自然におさまっていくと思いますね。
まぁ、上の視点と下の視点って違うから、中々溝は埋まらないとは思いますけどね。
さて、ここまで色々書いてきましたけど、実は殆どの場合において共通点があると思います。
「自分が認識出来た時」。まさにコレで、「認識出来ていない部分について、嫉妬する」と思ってます。
「とても評価されているのは、こんなに努力をしているからだと、"認識出来なかった"」とか、
「あっちだけじゃなくて、自分も愛されていたというのを、"認識出来なかった"」とか。
ですから、認識出来る為の努力をしなければ、嫉妬は解消されないと思いますね。
あと、個人的には不可知論者
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8F%AF%E7%9F%A5%E8%AB%96 だから、
全てを認識することは出来ないと思っているので、
じゃあ、「認識出来ない部分については、一生嫉妬し続けるかもしれない」とも思っていたりw
ですから、これからも「嫉妬しては認識しようとして解消する」の繰り返しになると思いますね。
「嫉妬の輪廻」とでもいうかw
まぁ、「上手に付き合っていきましょう」ということですね。
さて、ここまで「自分が嫉妬"した"時に、それを解消する方法」について書いてきました。
じゃあ、逆に「自分が嫉妬"された"時に、どうすればよいか」についてなんですけど、
これ、結構微妙じゃね?と感じてまして。
というのも、自分が嫉妬しているかどうかの判断よりも、
嫉妬されているかどうかの判断の方が難しいと感じていまして。
例えば、「アイツは、けしからん」というのが、嫉妬による「感情的な部分」から来ているのか、
そうではなく、「合理性や論理性による誤りを改善しようとしていない」部分から来ているのかを判断出来るか否かという点。
で、上記だけでも難しいんですけど、
こちら
http://www.playing-engineer.com/?p=1249 にもある様に、
「男(女の場合は、また違うかも。経験が無いので不明(苦笑))」の場合、
嫉妬は感情だけど、男は論理性でそれを隠してしまいます。
まぁ、「正義」とか。
ですので、「非常に判断が難しいんじゃないか」と思うんですよね。
実際よく見ますしね。
例えば、「イノベーションを邪魔しようとする奴は、自分が出来ないから嫉妬しているだけだ」と、
嫉妬「されている」側が言っているのを。
実際、もしかしたら、本当に嫉妬なのかもしれないですけど、
でも、そうではないと証明するのも、非常に難しいんじゃないかなと思うんですよね。
でも、そこで、「いや、これは嫉妬じゃなくて、合理的な意見だ」とか言っても、
もう、「ドロ沼状態」で、どうにもならないと。
一応、上記リンク先にもある様に、
「所属している組織の目標を外れたり、非合理な文句をいっている状態」
という意見もあり、まぁ「コレに該当するケースも、それなりに多い」とは思いますけど、
ただ、「相手ではなく、自分の方が組織の目標を外れていたり、非合理な文句を言っている"かも"しれない」という可能性もあるわけで。
まぁ、厳しく言えばですけど。
いや、個人的にも実際、上記の様な理由で嫉妬されていると感じる時はあるんですよ。
ただ、「この辺は、他人の感情の話だし、そこまでは見極められないなぁ」と思ってまして。
だったら、「自分が嫉妬されているかどうか」よりも、
「自分が他人に対して持つ、嫉妬と上手に付き合っていく様にしよう」と、考える様になりましたね。
実際、そっちの方が「圧倒的に楽」だし、
極端な話、嫉妬「する」人がいなくなれば、嫉妬「される」人もいなくなりますしね。
ということで、まぁ微妙じゃないかなと。
あと、「嫉妬を解消しようと努力していない人が、努力している人に対して嫉妬する」という場合でも、
自分が嫉妬されている場合は、上記の通り、あまり気にしてもしょうがないかなぁと。
個人的には、それでも気になってしまうというのはありますけど、これも「良し悪し」ですしね。
あと、これは「声を大にして」主張しておきたいですけど、
「嫉妬を解消しようと努力しない」のは「悪」なんじゃなくて、
「嫉妬を解消したければ努力しよう」という事だと思いますね。
ですから、「努力して嫉妬を解消した、俺エライ」のが、「善」にもならないと思います。
これも、微妙な点があるかもしれないですけど、強いて「善悪」を言えば、
「嫉妬を解消しようと努力しない自分を、いつまで経っても(いつまでかは、議論になるでしょうけど)認めようとしない」のが、
「悪」じゃないかなと思いますね。
というのも、これは今回詳しく書かない(書けないともいう)ですけど、
いわゆる「負とされている要素(嫉妬もそうでしょう)を、自分が持っている事を認識しているか否か」によって、
表面に出る、負の要素の現れ方が違うというのがあると思っていまして。
悪い事だと分かっているから、「分別」が付けられているという様に感じますね。
「悪意の無い泥棒が一番タチが悪い」という言葉もありますし、その辺かなと。
嫉妬とは、直接関係ない話なので、これで終わりますけど。
あと、最後に全然別の視点として、
嫉妬って「他人が出来て、自分が出来ない事」に対して持つ事が多いとも思いますけど、
でも、「それって、本当に出来なきゃいけない事?」という視点もありますね。
まぁ、解決手段とかも含め、他にも色々あると思いますけど、
この辺は、ググると一杯出てくるので、参考にすると良いんじゃないかと思います。
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- 2014/04/24(木) 17:10:43|
- 心理
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いや、たまたまこんな記事
http://matome.naver.jp/odai/2139037516465643601 を見つけて分かったんですけど。
せっかくですんで、僕個人がどうかも含めて触れてみることにします。
自分の存在をなかったものにしてしまいたい。
そう思ったことは、ありますか?
「なかったものにしてしまいたい」というのは、あるかもしれないし、ないかもしれないし、ちょっと分からないですね。
ただ、「自殺してしまいたい」なら、これはあります。未遂も、覚えている限り最低二回は。
じゃあ、なんで死ねなかったのかという話になってくるんですけど、
「親を悲しませたくない」という、この一点に尽きると思います。
それ以外の人は、全然無いですね。
ですから、親の愛情、もう少し具体的に書きますと、
「誰かから必要とされているという実感」が一人に対してでもあれば、
「死にたいけど、死ねない」という感情が出てくるんじゃないかと思ったり。
でも、親の愛情が無かった、もしくは親の愛情はあったけど、
社会に出てから職場(正確には上司かと)での愛情(というより、必要とされていたかどうか)がなければ、
仕事をしたいとは思わないんじゃないかというのは、ある様に思います。
で、僕が職場ではどうだったかについては、
最初は「必要とされているという実感」が「殆ど無かった(でも、ゼロでは無かった)」ですね。
ですから、しばらくはキツかったです。
ただ、ITの業界だけでいきますと、
3年ぐらい経ってからは、まぁ「現場(色々と変わってますんで)に依る」といった所です。
ダメな現場は、全然ダメでしたけど、
評価されて、惜しまれつつ離れた現場もありましたし。
手前味噌ですけど、「勉強したから」というのは、やはりあった様に思われます。
評価されたというのが、「努力したことによる結果」を評価されましたので。
で、他の発言も見ると、この「周囲に必要とされていないと思う不安」というのが、
この消滅(あるいは自殺)願望の根っ子にある様に感じます。
「「必要とされたい」の裏返し?」とも、書いてますしね。
で、僕もそういう不安はあります、というより、死ぬまでずっとあると思いますね。
で、そうならない為に、勉強しているんです。
というのと、「せっかく生まれたのだから、死ぬまでに何か一つぐらいは社会に遺したい」というのもありますね。
ということで、こういった消滅願望を持つ人を減らすには、
「自分は必要とされているという実感を周囲が与えること」が必要だと思いますね。
まぁ、「実は周囲は与えているのだが、本人がそれに気付いていない」というのもあるかもしれませんけど。
で、個人的には、自分に向かってくる人(まぁ、数は少ないですけど)には、対処してますけど、
それ以外については、「個別に批判していない人以外は、全員必要としている」という態度なもんで。
だから、個別に対応って出来ないんですよ、「数が多過ぎて」。
さて、じゃあ次に来る点として、「幾ら努力しても、中々周囲に必要とされないのだが」という悩みもあると思います。
ここは、こちら
http://kitoku1.blog129.fc2.com/blog-entry-204.html にも書いたんですけど、
スキルレベルが上がってくると、溝が深くなる(階段で言うと、一段の高さが高くなる様なもの)が故に、
「努力の成果を、きちんと実感することが出来る」のにも「時間がかかる」となってしまうんですね。
ですから、「幾ら努力しても」というのは、「まだ努力が足りない」っていう可能性があるんじゃないかなぁと思います。
あと、この辺のレベルまで上がってきますと、
一つの分野だけだと厳しくなってくるとも思いますね。例えば「技術"だけ"」とか。
あと、最後に不安っていうと「将来に対する不安」について。
正直、自分の人生を振り返ると、
将来どころか、「数ヶ月先すら予想しても外れている(特にここ数年)」展開なので、
「将来と言われても、先過ぎて不安を感じるも何も」という感じでして(苦笑)
「国に対する不安?」、ありますけど、国の話とかになると、
僕一人で考える様な話じゃないですからね。それこそ「独裁」だw
だから、「国民に不安を与えている政治とか会社(主に社会的影響の大きい大企業)」は、
反省して改善していって下さいというのはありますけど、
ただ、「迷惑を受けている部分もある」し、
「恩恵を受けている部分(この辺は、他の国とか他の会社とか見ないと分からないかもしれない)もある」と思っているので、
「殺したくなる程、批判しているか」というと、「個人的には」そこまではないかも。
まぁ、ゼロじゃあないですけどね。聖母マリアじゃあるまいし。
ですので、話を戻すと、「消滅願望」については、
「全く理解出来ないわけではないけど、消滅したいとか死にたいとまでは、"今は"思わない」ですね。
ただ、以前はそれなりにあって、「周囲から必要とされていた事で助かっていた」とは思うので、
これは、社会全体として取り組む必要がある問題だとは思いますよ。
僕のスタンスは、上記に書いた通りですけど。
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- 2014/04/16(水) 20:57:40|
- 心理
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今回は、以下の記事に対する感想を中心とした内容です。
あと、下記の記事が言いたい事を、筆者が誤解している可能性が、今回は「特に高い」ので、
その際にはご了承頂ければと思います。
バランスの取り方
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20110803/p2極端な場所にいると、どうしても「逆側に極端になる」ことで、全体のバランスを取っている
取っていると思いますっていうか、これは皆そうだと思うんですがね。
で、バランスの取り方には2パターンあると思うんですが。
パターン1は、「絶対的ではなく、相対的に見る事でバランスを取っている」です。
例えば、コミュニケーションしたいっていう気持ちや姿勢(コミュニケーションマインドと筆者は命名しています)が、「皆無」や「限りなく無い」人々ばかりを相手にしていると。
「少し」有りそうや、「まあまあ」有りそうぐらいの人でも、
「凄く」有る「様に見える」と思います。
でも、それはあくまでも、「相対的」な評価であって、「絶対的」な評価ではないと思うんですね。
ただ、それでも、相対的に見る事(ここでバランスを取っている)によって、
「ああ、凄く有る(実際にはそれ程無くても)人も居るんだな」と、自分の中で解釈しているわけです。
これが、まず一つ。
パターン2は、「好意的に解釈する事で、相手を嫌いにならない様に工夫する」です。
こっちも例をコミュニケーションにします(セキュリティとかでも面白そうですが)が。
例えば、「質問や意見や反論が一切(もしくは全然)ないけど、どのくらい認識出来ているのだろうか?」とか。
で、これは、筆者の経験則で、根拠はないのですが。
ある事への認識や理解を「深める」には、会話(質問や意見などを述べる)が必須だと思っています。
なので、別に「常にフィードバックを」っていう程、厳密なモノだとは思ってませんが、
そうはいっても、何もフィードバックが無いと、やはり「大丈夫なのだろうか?」と思うわけです。
で、ここでまた「バランスを取る」が発動して、
「きっと」認識している「はず」、分かってくれている「はず」などと解釈して、
バランスを取っているのです。
勿論、思っていた「よりは」認識出来ているケースもあります(つい先日有りました)。
でも、実際にはどうでしょうね。勿論他人には分からない事ですが。
で、この辺がトラバ元でいう、
「あらゆる可能性」だけを盾に虹色に八方美人な対応したって意味はない
って、辺りと推測します。
じゃあ、ここで、パターン1も2もですが。
「ある瞬間の時間軸」、より厳密には「その時間軸にあなたが存在しているlocation、経験、周囲その他」を前提に「とりあえず仮決め」としての正しさは、あるいはあるんじゃなかろうか、と思うです。
「とりあえず仮決め」って辺りがポイントだと思うんですが。
パターン1だと、「本当はあるのかもしれないけど」、あの人にはコミュニケーションマインドが無いと「仮決め」したり。
パターン2だと、「理解しているかもしれないけど」、あの人はきっと理解していないはずと「仮決め」したりするもんだと思います。
というか、仮決めしないと、プログラムでいうと無限ループになるんですけど。
でも、仮決めは所詮「仮」であって。
今後の展開次第で、「その判断はやはり正しかった」ってなるか、
「いや、それは貴方の判断が誤っていた」って、どっちにも転ぶと思います。
あるいは、「1年前のあの人に対しては正しかったが、今のあの人に対しては誤っている。なぜなら、あの人は成長したから」ってケースもあると思います。
では、そろそろ終わりにしますが。
「諸行無常」の通りなんですけど。
例えば、「縁切り」が発生したとしましょう。
で、例えば1年後に、どっちからともなく「縁を戻したい」って話になったとしましょう。
で、その時に、どうして縁切りという結末になったのかって辺りや、
「縁を戻したい」って言ってきた時の、「お互いの態度」辺りにも因ると思いますが。
基本的には、縁を「戻してあげて」下さい。
1年前と今は「違う」んですから。
勿論、何も変わっていないという可能性もありますが、
それは、多少はやり取りしてみなければ、分からないと思うので。
また、上記にもある通り、
相手の「縁切り」が、「とりあえず仮決め」の可能性もあります。
ですので、「縁を切られた!」とあまりムキにならずに(負の感情を持ち続けずに)、
「柔軟に」受け入れれば良いのではないかと思います。
で、締めたいんですが、
実際には、「過去に囚われたり、過去を引きずったりする」ケースがやっぱり多いんですかねぇ?
テーマ:日記 - ジャンル:日記
- 2011/08/05(金) 23:49:26|
- 心理
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今回はざっくりとしか書きませんが、どうも以下のような言葉群に違和感を感じます。
1.そんな事はたいした問題ではない。プラス思考でいこう
2.私の考えが間違っているわけがない。そんなのは単なるデマ。プラス思考でいこう
3.ああ、問題が起きたか。でも大丈夫、プラス思考でいこう。きっと良い結果になる
4.これには、こんな便利で良い所がある。なんか言ってる人がいるけど、プラス思考でいこう
筆者には1ミリたりとも理解出来ない世界観なんですがね(苦笑)
というか、上記の1~4は「楽天主義」とか「楽観主義」とかっていいませんか?
筆者の、言葉の「定義」が一般的ではないのかもしれないのですが、
プラス思考っていうのは、
「負の側面を十分に知った上で、前向きに考える事」
なのではないでしょうか。
以前に書いた
「せっかくだし」。それはチャンスの一種の考え方あたりが、
プラス思考だと思うのですが。
しかし、実際には負の側面を見ていない(見る気すらない)で、
プラス思考でいこうと言っているケースが多い様に感じます。
全員が全員該当しているわけではないのですがね。
有名な「リーマン・ショック」があります。
その際の社員の方々のご発言が以下に書かれていました。
「こんな急に…」 東京のリーマン社員、ショック…米リーマン破産法申請で> 「こんなに急に(業績が)悪くなるとは思っていなかった」
> 「会社からは説明がなく、自宅でニュースを見て知った。ショックで今は何も話したくない」
破産法の申請の前には、
上記の1~4のような「プラス思考もどき」的な事を考えていたのではないかと、
筆者は想像してしまうのですが。
どうなんでしょうかね?
テーマ:日記 - ジャンル:日記
- 2011/02/19(土) 06:52:05|
- 心理
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連鎖には、「良い連鎖」もあると思いますが、
今回は「悪い連鎖」を取り上げてみます。
例えば、「脅し」を受けたとしましょう。
貴方ならどう思いますか。
「脅しか。?をしてくるんじゃないだろうか?」
「いや違う。?をして?をしてくるんじゃないだろうか?」
「以前は?をしてきたから、今度も?をしてくるんじゃないだろうか?」
「もし、?をしてきたらどうしようか?」
「?をすれば回避出来るんじゃないだろうか?」
上記の様な事を思った貴方は「要注意」です。
「負の連鎖」に陥っていると思います。
そして、その状態に取った言動は、
後になってみると「なぜそんな事をしたの?」ときっと思うと思います。
きっと、精神不安定な状態なのでしょう。
だいたい、考えてみて下さい。
上記の事は「貴方が」思っただけであり、「相手が」思ったわけではないのです。
貴方と相手は「別の人間」です。
同じ事を思う保証は有りません。
また、「相手の言動が全て予測可能」なんていうのは超能力みたいなものです。
貴方は超能力者ですか?違いますよね。
更に、「以前は?をしてきたから」といっても、
以前と同じ事をしてくる保証もまた有りません。
おそらく、「予測が当たる可能性は相当低い」と思います。
だったら、「なぜそんな事をしたの?と思う言動」を取る前に、
相談するなり熟考するなりすれば良いのではないでしょうか。
脅しで、身体や生活などに危険が及ぶのならば、
一時的に雲隠れでもすれば良いのではないでしょうか。
それで解決するかどうかは別としても。
または、仮にその脅しが現実になったとしましょう。
脅しによって戦わなければいけないのなら、
だったら戦うしかないのではないでしょうか。
最悪、相打ちになっても仕方ないぐらいの覚悟を持って。
または、もし「なぜそんな事をしたの?と思う言動」を取ってしまったらどうすれば良いでしょう?
その時の事を思い出して、
「その脅しがなければしていた事」を、
また行えば良いのではないでしょうか。
すぐには無理かもしれませんが。
一旦マイナス思考に陥ると、とことんマイナス思考に陥ってしまいます。
そうなって後戻り出来ない言動を取る前に、
少し時間を置いて考えてみましょう。
テーマ:日記 - ジャンル:日記
- 2010/04/29(木) 19:19:57|
- 心理
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